粟田部と男大迹王子

粟田部と男大迹王子(後の第26代継体天皇):継体大王即位1500周年公式記録、歴代天皇・皇后総覧より

①男大迹王子時代(450~507年)
 近江国(滋賀県)で生まれましたが、幼少のころ父が死去したため、母(振媛:ふりひめ)とともにその出身地である 越の国(越前・福井県)に帰り育ちました。
 当時の越の国は、九頭竜・足羽・日野川の三大河川の氾濫による水害に悩まされていました。 
 王子は九龍川河口を切り開き水はけを良くすることにより福井平野などを一大田園とした伝説が伝わっています。
  
 当粟田部でも、味間の郷(当時のこの辺一帯の名称)に王子が住まい、氾濫を繰り返す鞍谷川の改修を行ったと
 されています。

この他、福井県内には笏谷(しゃくだに)石の活用や漆器の産業化などに尽くされたなど多くの伝説が残されている他、 粟田部にも、男大迹王子(継体天皇)とのつながりが深く関連する地名や行事が今日でも残されています。

○王子の妃であった佐山媛の住居があったとされる「佐山」の地名が残っています。
    *佐山姫公園の写真

○第27代安閑天皇、第29代宣化天皇が誕生された「玉の尾」の地名や産湯をつかったとされる「皇子ケ池」が残っています。
    *皇子ケ池写真
 ○謡曲「花筐(はながたみ)」の主題となる王子の形見として植えられた「薄墨桜」は、皇谷山(注:小字名では皇谷) の中腹にあって有名です。
    *薄墨桜の写真

○毎年2月13日に行われる岡太神社の神事である「蓬莱祀(おらいし)」は、「王位来祀」の訛とされ、男大迹王子を偲び、五穀豊穣・国土安全を願って山車を作り町中を引き回すものです。
    *写真
○毎年10月12日~13日に行われる岡太神社の神事である「迹王の餅」もまた、男大迹王子と関連する行事の一つです。
    *写真

②継体天皇時代(450~531年) 天皇在位期間は507年(58歳)~531年
 これまでの天皇とは異なり、出自(第15代応神天皇の5世孫で傍系王族出身)と出身地が越前国(福井県)
 という異色の天皇です。
 天皇即位後、皇居を樟葉(大阪府)、山城筒城(京都府)、弟国(京都府)と転々と変え、天皇即位20年後に
 磐余玉穂宮(奈良県)に置きました。
 一説には、それまでに王朝とは異なり地方の諸豪族から擁立された天皇とも言われています。