粟田部の名称

粟田部の名称の由来いろいろ:今立町誌、男大迹部志より

 

①継体天皇が「男大迹(をおとの)王子」と呼ばれてこの地域に居住していた頃に「男大迹辺の里」と言われ、その後「大迹部(をおとべ)」、そして養老年間(717~723年)に今の粟田部になったとされています。
②大和朝廷で強い勢力を持っていた春日臣の同族で「粟田臣(あわたのおみ)」の一族が住み、その所有地を 「部(べ)」や「田荘(たどころ)」などと呼ばれたことから「粟田・部」となったものとされています。